春夏秋冬、移り変わる季節に合わせて茶の木は葉を茂らせ、香味も移り変わります。
茶の葉をどのように育て、いつ摘むのか。巡る自然との対話が「旬」を生み出します。
東西約3000km南北約3000kmの海と島の国である日本は、南と北とで気候に大きな違いがあります。
緯度の違いによって年間の日照量も違うため、地域によって茶の成長速度も全く別物なのです。
歴史ある老練な農家が持つ経験は重要な暗黙知として産地を支えています。
茶の葉に一点できた黒い点から病気の発現を見つけたり、草の生え方に気温の変化を読んだり、
山にかかる雲の形に天気の移り変わりを見つけたりと、一秒でも長く土の上に立った者は、
目に見えるものの一段奥にある情報を知ることができるようになります。
繰り返される春夏秋冬の中で同じ日は1日たりともなく、自然の木々は暖かい冬や寒い春のようなイレギュラーにも過敏に反応します。
暦の通りに自然は動かないので、常に観察を繰り返して茶の木の声を聞き、そっと手を差し伸べるようにしか、作物を育てることはできないのです。
茶の葉を摘み取る時期は美味しいお茶を作るために何よりも大切な要因です。
たった1日時期を外すだけで葉の繊維は硬化し、成分は変化し、品質は大きく劣化してしまいます。
旨味の強い玉露を作るには太陽の光を十分に遮った春の芽を柔らかいうちに摘み、
甘味があとを引くほうじ茶を作りたいなら冬一番寒い日に摘み、
香りが豊かな烏龍茶を作りたいなら秋晴れの続いた午後に摘む。
このように、何を生み出したいのかを決めて一年間の茶園管理を進め、旬の瞬間に摘む事で最高の一杯を演出します。
土に根ざした茶の木は、様々な栄養を吸い上げ葉に蓄え、お茶の味や香りを豊かで複雑なものにします。
目に映らない大地の深部が、数百年揺るがない「地味」=「テロワール」を生み出します。
じゃがいもやトマトのような野菜と違い、お茶の木やぶどうの木、リンゴの木などは1年で育つものではありません。
何十年、時には百年以上もかけて成長し成熟した木は、大地深くから多くのミネラルや養分を集め、実や葉に蓄えます。
それらを原料としたお茶やワインは人工的には作り得ない複雑で味わいの深い自然の恵みを獲得します。
人間が耕せる表面の土壌と同様に、その下に広がる目に見えない地層がどうなっているのかを理解することは、これらの嗜好品を知る上で極めて重要です。
地球を構成するプレートの境界に在る日本は、たった数キロ東西に移動するだけで全く違う地層の上に行き着きます。
例えば、富士山麓の茶園は東西10kmのうちに三種の違った地層を持っています。
一つはフォッサマグナの東端に当たる富士川断層の隆起したガラ土、二つ目に噴火による溶岩で出来た岩盤、そして三つ目が沼津北部に連なる愛鷹山脈の赤黄色土。
この違いは植えてすぐの若木では大きく変わらない一方、半世紀を過ぎた古木ともなると顕著に違いを生み出します。
日本中の産地が持つ特色、「地味」はこの違いに大きく依存するのです。
茶を造る人の事を、『茶師』と呼びます。
天地が生み出した葉を至高の一杯に昇華する研鑽された技が、世界中に茶葉を届け豊かな時間を生み出します。
はるか昔、初夏の香味を1年通して楽しみたい。そう強く願った誰かの為に生み出された技法が、お茶つくりです。
1300年前に日本に伝わった当初、茶作りは薬作りの技でした。
それを、日本に生きている人々が楽しめる嗜好品としての茶造りに、長い年月をかけて時代時代の茶師達は進化させてきました。
茶つくりとは、簡単に言うと乾燥保存の技術です。
それを人間の五感を全力で活用する事で嗜好品製造の術に昇華したのです。
葉の中に含まれる酸化酵素を蒸して失活した後、36度前後の温度を維持しながら乾燥することで、
健康成分を変えず保存性を高めた高度な乾燥保存技術は、『茶心を持って揉む』と表現され、日本中の茶師の志として受け継がれてきました。
茶つくりの技法は常に進化をし続けています。生み出し次世代に引き継いでいきます。
過去にそうして生まれたお茶が抹茶であり、玉露であり、かぶせ茶であり、玄米茶です。
茶師達は今、伝統の技法を使いつくる緑茶に留まらず、世界中の茶の香味を学び富士山の地で試行錯誤する事で、
紅茶や烏竜茶、焙煎茶のような世界の茶を日本の気候・風土にあった形で再構築し、この国の天地にあった技法を新たに開発しています。
本多茂兵衛はその一端で、独自に生み出した大寒茶や高焙煎茶を生み出しました。
数々のお茶が生み出す豊かな時間。その瞬間を世界中につくり、世界をほんの少し平和にすることがお茶つくりです。
日本茶を未来に残すために、様々なプロジェクトを実施しています。